新島襄海外渡航の碑
これだけのことなんですがHakobaホテルの道路向かいに小舟に乗った人の像があったので行ってみました。すると同志社大学を設立した新島襄の碑でした。
明治元年(1864年)、函館の波止場から小舟で湾内に停泊している米国商船ベルリン号に乗り込み密出国したそうです。この時代の若者はすごい行動力ですよね。
日本最古のコンクリート電柱
ホテルを出て駐車場へ歩いていくと「日本最古のコンクリート電柱 100m」なる看板を発見しました。
100mほど歩くと「ん!」
向かいのマンションになりやら看板が立っています。もしかしてその横の四角いコンクリートの柱がそうなのか。
信号と約束は守る私です。赤信号だったので少し待ってから横断歩道を渡りました。
大正12(1923)年に建てられた四角いコンクリート電柱です。
当時は丸い木製の電柱が普通だったそうですが、今は無き、北海道拓殖銀行が函館支店の前にある電柱と自行との建物の風格とのバランスを考えてお金を出して建てたそうです。
また同じものが2本あり夫婦電柱と呼ばれたそうですが、1つは取り壊され今はこれしか残っていないそうです。向うに見えるのがそうかなと思いましたが違いました。
≫函館市公式観光情報サイトから抜粋
二十間坂を下った先、赤レンガ倉庫群へと続く道の途中に、角ばった電柱を見つけることができる。日本で最も古いコンクリート電柱である。 今から約90年前の大正12(1923)年、元北海道拓殖銀行函館支店が鉄筋コンクリート造りで新築された際に、その建物との釣り合いのために北海道拓殖銀行が資金を提供し、函館水電株式会社(現北海道電力)が特別に建てたものである。この後、拓銀を挟むようにもう1つ同様の電柱が建てられたため、この2つの電柱はセットで「夫婦(めおと)電柱」と呼ばれた(もう1つの電柱はすでに壊されていて、現存するものは平成に作られたもの)。この電柱が建てられた当時、電柱と言えば円柱であり木製であった。しかしこれは珍しい角柱形で、函館が大火の多い街であること、拓銀の建物とマッチさせることを考慮して、コンクリート造りになっている。今も現役で使われていて、歴史の重みを感じることができる。
☆日本最古のコンクリート電柱
〒040-0053 北海道函館市末広町15−1
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≫筆者:おのちん
≫来店日:2021.05.12