こんにちは、はてはてマンボウです。今回は京都の宇治にやってきています。
梓「マンボウちゃんは、宇治は初めてかな」
マ「あ、連理梓さん。今回もよろしくお願いします」
『源氏物語』最後の舞台、貴族の別荘街・宇治
マ「大きな宇治川がのんびりと流れています。優雅ねえ」
梓「宇治は、奈良と京都を結ぶ交通の要所として発展してきた」
マ「マンホールも紅葉と宇治橋です。宇治を代表する名所なんですねえ」
マ「はて、この像は」
梓「紫式部の像だね」
マ「紫式部、はて。『源氏物語』の作者ですよね」
梓「源氏物語は、54帖からなる、天皇のご落胤である光源氏にまつわるサーガ。その最終版『宇治十帖』では、ここ宇治を舞台として、光源氏の孫世代の逢瀬が語られる」
マ「へえ、源氏物語の舞台に。優雅ですねえ。でも、どうして宇治が選ばれたのかしらねえ」
梓「宇治には平安時代初期から、京都の貴族たちの別荘が営まれていたんだ。マンボウちゃんが言うとおり、都から少し離れた土地にある、優雅な別荘街だったから、その気風が選び取られたのかもしれないね」
世界遺産・平等院ってどんなところ?
梓「さて、それでは表参道から平等院へと進もう」
マ「表参道はおしゃれな通りねえ。ちょっとお休みできそうなお店もたくさん」
マ「どっこらしょ。ちょいと、お抹茶で休憩かしらねえ」
梓「マンボウちゃんは、これから行く平等院がどんなところか知ってるかな」
マ「はて、例によってなんにも知りません」
梓「平等院は、『古都京都の文化遺産』の1つとして世界遺産に登録されている。鳳凰堂が建てられたのは1053年。人ごみで見る鳳凰堂」
マ「まぼ、いつもの語呂合わせですね」
梓「平等院を建てたのは、藤原道長と並んで藤原氏の絶頂期を築いたと言われる、藤原頼通。平安時代のうち、藤原氏が政治へ大きな影響力を発揮した、いわゆる摂関政治の時代に建てられた」
梓「さて、お抹茶も楽しんだとところで、平等院に行こう」
マ「よく整理された、きれいな境内ねえ。紅葉が映えます」
10円玉の鳳凰堂……でも、鳳凰堂ってなんだ?
マ「うわあ、これが紅葉の鳳凰堂ですか!」
梓「マンボウちゃん、10円玉を持っているかい」
マ「あ、もしや!」
マ「おお、10円玉と一緒だ、すごおい!」
梓「さて、マンボウちゃんは、どうしてあれが鳳凰堂って呼ばれているのか、知っているかな」
マ「はて、そういえば。どこかで大きな鳳凰でもまつっているのかと思っていましたが、はて」
マ「およよ、もしやお堂のうえで、ちょこんと向き合っているのは」
マ「おお、これが鳳凰ちゃんでしたか」
梓「一方で、横に広く伸びたあの阿弥陀堂が翼を広げた鳳凰のように見えるから、鳳凰堂と呼ばれているという説もある」
マ「なるほど」
梓「この鳳凰堂というのは、阿弥陀堂の別名なんだよ」
マ「はて、阿弥陀堂」
梓「鳳凰堂の写真をアップにしてごらん」
マ「はて」
マ「はて!」
マ「もしや、これは阿弥陀さまですか」
梓「そのとおり。平等院鳳凰堂は、中尊寺金色堂、富貴寺大堂とあわせて、日本三大阿弥陀堂の1つだ。この長大な阿弥陀堂や優雅な庭園とあわせて、現代に極楽浄土を再現しようとした」
マ「ありがたや~、なんまいだぶ~」
《まとめ》三大阿弥陀堂と阿弥陀如来
↑「三大阿弥陀堂ってなに?」「阿弥陀如来ってそもそも何者?」という方はこちらをクリックしてくれ~まあんぼう~
基本情報のまとめ
☆平等院 ≫公式HP
〒611-0021 京都府宇治市宇治蓮華116
≫筆者:連理梓
≫来訪日:2016.12.08
※「はてはてマンボウのブログ」は移転しました。