こんにちは、はてはてマンボウです。今回は、和歌山県の田辺の町を回遊しています。
はて! こんなところに世界遺産ののぼりがたくさん!
梓「それは、この鬪雞(とうけい)神社が2016年に世界遺産へ追加登録されたからだよ」
マ「あ、連理梓さん。鬪雞って、あの闘鶏ですかねえ、鶏を闘わせる。うーん、気になります、この鬪雞神社について詳しく教えてください」
鬪雞神社の概要
梓「鬪雞神社は紀伊田辺駅からちょうど1キロ。歩いて12分ぐらいだね。紀伊田辺駅は和歌山駅から特急くろしおに乗れば、およそ1時間20分で到着するよ」
梓「鬪雞神社は、熊野三山の神様を祀っている。皇族や貴族が熊野へお参りに来るときは、まず鬪雞神社に参拝したそうだよ。そんないわれもあって、熊野信仰の一翼を担っているという観点から、鬪雞神社は2016年10月に世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』へ追加登録された」
マ「それが、この鬪雞神社というわけなんですねえ。しかし、どうして『闘鶏』の名前がついているんですか」
梓「その由来は、源平合戦の時代までおよそ850年さかのぼる」
梓「当時、日本最強ともうたわれた熊野水軍は、源氏と平家のどちらに味方するか、決めかねていた。そこで、武蔵坊弁慶の父であると伝えられる湛増(たんぞう)が、どちらに味方をするかの神意を確認するため、赤い鶏を平氏、白い鶏を源氏に見立てて闘鶏をしたんだ」
マ「境内にも、湛増と弁慶の像がありますねえ」
マ「鶏が闘っています。あ、それで結果はどうなったんですか」
梓「白の鶏が勝ったことから湛増は源氏に味方することを決めた。熊野水軍を率いて壇ノ浦へ出陣した、というわけだ」
マ「そういえばこの話、どこかで聞いたような……」
梓「熊野水軍が根城にしていたと言われる、三段壁洞窟でも同じ話が展示されていたね」
静かな境内をぶらり
マ「境内でも、世界遺産を記念したのぼりが立っていますねえ」
マ「あら、やっぱり鶏の像がここにも」
梓「さて、それじゃあ拝殿へ行こうか」
マ「本殿で祀っているのは、イザナミノミコトなんですねえ」
梓「イザナミノミコトは、熊野那智大社の主祭神の熊野夫須美神(ふすみのかみ)にあたる」
マ「『阿弥陀如来』と書いてあるのはなんですか」
梓「仏教っていうのは、インド発祥で中国を通ってやってきた宗教だ。この仏教の神様と、実は日本古来の神様を同一視するようになった。これは、神仏習合(しんぶつしゅうごう)という考えに基づく。というわけで、イザナミノミコトは阿弥陀如来と同一と見なした、ということ」
梓「西殿には、別にお社(やしろ)を設けて、熊野三神を祀っているね。さて、これら社殿以外にも、さまざまな神様が境内では祀られているよ」
梓「弁天神社は、弁天さまと同一視された市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)を祀っている。海の安全を司る神様で、厳島神社でも祀られているね」
マ「こっちは、えびすさまと大黒さまがお祀りされていますねえ」
マ「この神社はなんですか」
梓「徳川家康の側近を務め、紀伊国田辺藩の初代藩主となった安藤直次(あんどう なおつぐ)を祀っているよ。紀州藩は徳川御三家の一つだったから、家康の信頼の厚い安藤直次が、紀州藩の家老として派遣された。田辺はあくまで紀州藩の一部だけれど、実力のある安藤直次が治めていて、あたかも一つの藩であるかのように力を持っていた」
マ「こっちは、弁慶を祀っていますねえ」
梓「弁慶と鬪雞神社との関係はすでに話したとおり。田辺生まれの弁慶のことを、このお社で祀っているんだね」
基本情報のまとめ
≫公式HP 〇田辺探訪(和歌山県田辺観光協会):闘鶏神社
〒646-0029 和歌山県田辺市東陽1−1
≫筆者:連理梓
≫来訪日:2019.04.20