大刀洗町は統合されて筑前町になっていました。筑前町立太刀洗平和祈念館にやってきました。
この建物の後方には莫大に広い土地が飛行場となっていたのです。
第二次世界大戦中は東洋一とも言われる規模の飛行場で隣接して飛行機の製造工場などがありました。
外には三菱重工が制作した10人乗りのヘリコプターが展示してありました。
三菱重工業は戦後アメリカから規制を受け飛行機を作ることができなかったですがボーイング社の機体の主翼を請け負ったりしていますよね。
MH2000ヘリコプターの説明版です。
さて中に入ると大人600円を支払って見学できます。チケット売り場の前には記念品販売コーナーがあり、戦闘機にまつわるいろんなグッズが販売されていました。
館内には珍しい戦闘機や試験飛行までしなかった機体模型などがあったのですが撮影許可が下りているのはこのゼロ戦だけです。
東南アジアから引き揚げてきて展示が実現したものだそうです。館内案内の男性が簡単に館内説明をしてくださいます。
階段で登ってコクピットを見ることができます。
この太刀洗飛行場は米国のターゲットにされて沢山の人達が亡くなっています。本来は学校としての機能だったそうですが特攻隊の基地としての機能を持っていました。
また飛行場は4000人だかの人数がいたそうですが隣接する飛行機製造工場は14000人もの人がいて、この周辺は街をしても栄えたようです。その頃は近くの旧松崎宿もいったん繁栄したそうです。
鹿児島の知覧にある特攻基地は有名ですが実はこの太刀洗飛行場の分隊だったそうです。知らなかった・・
米軍のB29の激しい絨毯爆撃が7回にもわたってあったそうで、11時の全体集合指揮時間の直前に空爆があって飛行場内にある防空壕に逃げ込んだ沢山の人々は防空壕が崩れて大量の人が生き埋めになったそうです。また近くの甘木にある頓田の森で沢山の小学生が空爆でなくなった悲しい話も語り継がれています。
そんな中、ある将校が米軍の空爆を予知して大本営の許可もないまま生徒たちを全員疎開させていて沢山の人の命が救われた話も書いてありました。
近くに太刀洗北飛行場の跡があるということで行ってみることにしました。また東飛行場の建設予定もあったそうですが実現しないまま終戦となったようです。
外に出て筑前町の案内看板を眺めます。案内看板って思わぬ発見があるのでいつも見るようにしています。
ところで太刀洗北飛行場跡はネットで見ても場所が良くわからなかったのですがGoogleマップで検索すると出てきました。
県道593号線を西に向かって走っていくと、わかりにくいのですが左手に農業機械のクボタ販売店がある交差点があります。
その左手前の小さな空き地に説明版がひっそりと立っていました。
593号線と交差するように長い道路が走っています。なんでも当時は幅50メートル、長さは1800メートルもあったそうです。
その西の東小田小学校の手前には副滑走路兼誘導路があり幅30メートル、長さ1600メートルと書いてありました。そちらも行ってみましたが長い直線が残っていました。
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☆太刀洗平和祈念館と北飛行場跡
〒838-0814 福岡県朝倉郡筑前町高田2561−1
≫googleMapで開く
TEL:0946231227
営業時間:09:00~17:00
定休日:12月26日~12月31日
≫太刀洗平和祈念館 公式ホームページ
≫筆者:おのちん
≫来店日:2021.03.06